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個として旅路の果て

自分はお参りに行った時にしか貰いませんが、やっぱり嬉しい。




>>nhhmbase - 無明の門



バレンタイン・ムードが日増しに高まりつつある今日この頃。

しかし、忘れちゃいけません。
そのバレンタイン・デーの翌日、2月15日はお釈迦様がお亡くなりになった日(陰暦)。

有名な話で、お釈迦様がお亡くなりになる(入滅)前に弟子の一人、アーナンダ(阿難)に向けて「自灯明、法灯明」というお言葉を残されたとされています。(涅槃経)

「自灯明、法灯明」というお言葉を簡単に言えば、
「自らを拠り所とし、法(教え)を拠り所にせよ」ということです。

「偉大な師亡き後、自分は一体どうしたらいいのか?」というアーナンダの気持ちに応えてのお言葉。そんなアーナンダの気持ちも分からないでもないです。はい。

ここで言う「自らを拠り所にする」ということは、「自分を信じて」とかそういったことではなくて、むしろ「自分の足で歩んでいきなさい」ということとして押さえた方が、なんだかしっくり来る気がします。あるいは「“個”としての自立」とか。

因みに余談になりますが、仏前に供える花として“ツル”の植物は用いないのがルール。
何故ならば「自立」出来ないから。

そのように、
常に「“個”としての自分」というものが問われてくるのが仏教の精神だと思うんです。

ですが、「法(教え)を拠り所に」するとなると、「“個”としての自分」というものも“縁”によって成り立っているものだから、結局のところ、絶対的な“私”と呼べるようなものは存在しない、と。(“空”)

まあ、このへんが非常にやっかいなのですが(笑)



とにかく。

拠り所とするべき法(教え)に出遇うことで、「自己とは何ぞや」という問いが生まれてくる。
その問いが“私”という“個”の立脚地になる。
そこから、自らの足で歩みをスタートさせる。それが「自立」なんだと思います。



・・・なんて、偉そうに言ってきて何なんですが、

果たして自分は今、何処に立っているのか?

って案外、自分の足元って見ないんですよね(苦笑)



【本日の一曲】





今回はお釈迦様の入滅された日(涅槃会)にちなんで、
“nhhmbase”(“ネハンベース”と読みます)をチョイスしてみました(笑)

音源も良いんですが、ライブがめちゃくちゃかっこいいバンドです。オススメ。


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| ksm.の小言 | 17:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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