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浄土真宗に卒業はない

“春”と言えば、出会いと別れの季節。




>>COUNTRY YARD - Starry Night [DORAMAver]



( ;∀;)イイハナシダナー





ところで。


タイトルにも書かせて頂いた通り、浄土真宗には“卒業”なんてありません。


「ここまでやったから」とか、

「これをしたから」と言って、それで全て丸く収まる訳ではないのです。


そうやって自分を高めていければノー問題かと思いきや・・・

そうならないのは、この私の“煩悩”のせいであります。




例えば、地位も名誉も全て手に入れたとします。

一般的に考えれば、それは恵まれているのかもしれません。


しかし、


    田あれば田を憂う。宅あれば宅を憂う。 (『佛説無量寿経』)



まあ、確かに何事も“ある”に越したことはないでしょうけど、無いなら無いで悩むし、
あったらあったでまた悩む・・・。

全く以って上の言葉の言うとおりだと思うのですが、結局人間どこまでいっても
悩み、煩うことから逃れることは出来ない、と。



それをどうにかしようと、多くの僧が山へ上がり、修行を積んだわけで。

親鸞聖人もその一人ですね。

親鸞聖人は9歳から20年間、比叡山で修行をされました。



が、



最終的には山を下り、法然上人のもとへ。

そして「念仏」の教えに出会ってゆかれるのでした。



    念仏成仏これ真宗 (『教行信証』)



シンプルに真宗を表した言葉だと思います。



浄土真宗は念仏の教え。

ですから、所謂修行を積んだり、座禅を組んだりするわけではありません。



とは言え、

20年間修行をされた親鸞聖人と、私とでは同じ目線で物を言えるとは到底思えません。


だって、やってないんだもん。



では、修行もしていない曲がりなりな僧侶としての自分の存在意義は?



―お寺を守ること?

―儀式を執行すること?



「形」を守ることもそりゃ大事でしょう。

正直「お寺の経営なんてどうでもいい」とも言えないですし・・・。



ですが、今思うのは、自分がすべきことって



自ら教えを聞いて、またそれを伝えていくこと



だったりするんじゃないか?という気がしています。



    能く一念喜愛の心を発すれば

    煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり (『正信偈』)




悩み、煩いから逃れることの出来ない我が身だからこそ、自分に気づかせてくれる出会いに生き、自分と向き合いながら歩んでいくことが大切なんじゃないでしょうか。



    信心はきくにきわまることなる (『蓮如上人御一代聞書』)



浄土真宗は、やはり「聞」に始まり「聞」に終わる、と思うのです。



ということで、



ksm.の仏教を聞いていく旅はまだまだ続く・・・!!



・・・なんか打ち切りになる漫画の最後の煽りみたいですが(笑)


今回も最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。





【本日の一曲】

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